第1回 紙ジャズ クロスレビュー
Lee konitz "I Consentrate on You"(Steeplechace)
personel : Lee konitz,alto sax Red Mitchell,bass,piano
1、Just One of Those Things 5;08
2、Just One of Those Things take7 3:04
3、Easy to Love 3:13
4、It's All Right with Me 2:59
5、Everytime We Say Goodbye take1 2:47
6、Everytime We Say Goodbye
7、You'd Be So Nice to Come Home To 3:45
8、Love for Sale 5:15
9、In the Still of the Night 2:10
10、Night and Day take1 5:12
11、Night and Day 3:54
12、I Love You 3:34
13、I Love Paris 3:22
14、I Concentrate on You 9:13
All Compisitions by Cole Porter
渡部信順の場合
剥き出しにされた意図
リー・コニッツ『アイ・コンセントレイト・オン・ユー』を聴いてみた。
最初はあんまり期待してなかったのに、CDかけだしたら「あちゃ~、コニッツさん、ごめんなさい。甘く見てました」と頭を下げざるを得なかった(笑)。
このアルバム、ベースのレッド・ミッチェルとアルトサックスのリー・コニッツのデュオ作品なんですが、これがリー・コニッツ特有の難解さをふっ飛ばすことに見事に成功して、コニッツの言いたいことが実に如実に伝わってくる。加えてレッド・ミッチェルの見事なベースプレイには脱帽。このベースだけをおかずにして、僕ならご飯3杯は食べられる。
なんというか、コニッツの枯れたアルトの音色と一瞬のインプロヴィゼーションにかける鮮烈さが迫ってくるんですね。アルトの背後で鳴っている音が少ないために、コニッツの音色がまるで闇から浮かび上がって、たった今生まれたように響く。空々しいものもそこにはないし、一瞬にかけた音楽しかそこにはない。1曲目の“Just One of Those Things”と4曲目の“It's All Right with Me”が特にそんな印象が強い。
ただ、だからといって、緊張感に漲ったような凄絶な音楽というわけでもなくて、むしろレッド・ミッチェルとリー・コニッツという玄人たちが、ちょっと小粋なセッションに臨んだような気楽さがある。あんまり気負いみたいなのがないんですね。
だからリー・コニッツの音色に少しばかり屈託がなくなって、自然な呼吸で日頃やっている難しいことを素直に歌ってくれている。その伴奏に少しばかり小粋なベースが絡んでいるという印象があるわけです。
リー・コニッツというと僕などは『サブコンシャス・リー』とか『モーション』とかの印象というか先入観があって、レニー・トリスターノ・スクールの卒業生で、ちょっと近づき難いものを感じていたんですが、これを聴くとコニッツはあくまでコニッツで素直な音楽をやっていただけで、要するに僕自身がその音楽のコツを聴き取るのが苦手だったんだなあと改めて感じました。
音楽を虚心坦懐になって聴くということは意外と難しいもので、僕などはできないことの方がむしろ多いんですが、この1枚は乗っかっている楽器が少ない分、音楽をある意味“虚心坦懐”に聴くことのできるアルバムのように感じます。
緊張感と気楽さが不思議に同居していて、繰り返し聴きたくなってしまう1枚。
コニッツ入門に最適なんじゃなかろうか。
McLean Chance の場合
「トリスターノ門下」だの、「インプロヴィゼーションの鬼」だの、そんな偏見(偏聴?)はこの際一切捨てることだ。
だいたい、こんなむき出しでヨタりながらアルトを吹くコニッツを、一般的なジャズファンはお目にかかっただろうか?
ハッキリいって、テクニックは、昔日のものだろう。あの大傑作『モーション』と比べるべくもない。「You’d be So Nice to Come Home to」が再演されているが、あのような死闘のようなすさまじい演奏ではない。アドリブの冴えで聴かせてはいない。が、しかし、それでも俺にはジャズしかない。という、このジャズバカの、みもふたもないこの男の歌に、私は酔いしれるのである。この男にウソはない。
それにしても、コニッツにコール・ポーターの曲を演奏させよう。というアイディアはすばらしい。ポーターの曲というのは、単純な笑いとか泣きといった分類の出来ない曲が多く、コニッツという屈託が多い男が演奏するにはピッタリだ。
とりたてて聴かせようとか、泣かせようという魂胆がないにも関わらず(というか、コニッツには昔からそういうところが希薄だ)、この1974年という、コニッツ史的には、とりたてて劇的な何かが記されているわけでもないこのアルバムにただようしみじみとした情感は一体どうしたことだろう。
ジャズとは、生き様そのものなのだ。などと言ってしまったら、何の説明にもなりはしまいが、そうとしか言いようのない、聴き手をひきつけてやまない何かがここにはある。
こういうものを聴いてしまうと、ジャズというものはますますやめられなくなってしまう。
さて、ここまで書き進めながら、レッド・ミッチェルについて何も記さないのは、やはり不当といわなければならないだろう。
なぜなら、彼こそがこのアルバムの品位というか、クオリティを高めている最大の功労者であるからだ。
低く、伸びやかに、そして確実によたるように吹きまくるコニッツをしっかりさせているのは、彼のベースなのであって、他の連中であったら、一緒によたれて、全くの駄演に陥ってしまった可能性が高いだろう
そういう意味で、コニッツは共演者に左右されると言う点では、やはり『モーション』と同じことが言え、その観点から見れば、ソニー・ロリンズと同じタイプのジャズメンなのだろう。
ジャズ史的には全く無視してもよいのかもしれないが、ジャズ地獄というものが一体どういうものなのか、ジャズという得体の知れない怪物に人生を狂わせてしまった男の顛末というものは一体どういうものなのかを知るには、格好の1枚だろう。
マサ近藤の場合
味のある顔
「味のある顔」というのはつまらないものだ。芸術家用である。
愛はそんな顔を見さえしない。
ジャン・コクトー
リー・コニッツという顔がややむくんだジャズサキソフォン奏者。彼の顔が「つまる」のか「つまらない」のかは別である。そんなものは見ることも考えることも必要ない。
ジャズにおける旋律は単にきらびやかな装飾を施すだけではいけない。装飾は力を分散させながら集約するものであり、計算され尽くしていなければならない。ゴティック建築のように。
I Love you
いつ どこで この言葉を言うのか?人によって様々だがこれほど広い言葉は無い。リー・コニッツとレッド・ミッチェルの奏する「I Love you」がどのような時と場所を漂うのか?
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