紙のジャズ 第1回 渋谷毅オーケストラ 観戦記 後編
McLean Chance、渡部信順
MC 渋谷さんもジャズを聴いたときにパウエルみたいに弾きたいとかね、間違いなくあったと思うのね。
渡 そりゃ、あるでしょう。
MC ジャズピアノを日本でやろうとして、ジャズのアルバムを聴く。たとえば、ビル・エヴァンスを
聴いたら彼みたいに弾きたいじゃないですか(笑)。
渡 僕だってそうだもん(笑)。
MC あこがれのミュージシャンがいて、それを真似しようとする。そこまでは他のジャンルと変わら
ないと思うけども、ジャズにはアドリブってものがある。多分、取り組んで気行く途中で気づくんでしょうけど、「パウエルみたいにできるのか」と。彼のやっていることは、1950年代のニューヨークで活動していた黒人だってできなんですから。バリー・ハリス(1929年生まれのピアニスト。絶妙なタメの聴いた、都会的で洒脱なスタイルを持つ)だってできなんだから。だから、どうしなきゃしけないのかってことになっていった。その試行錯誤が、「ハードバップ」になったんだと思うのよ。日本人の渋谷さんは、そこに国が違う、人種が違う―これは、アメリカの白人も考えざるを得なかったと思うのだけど―という問題があったからね。
渡 ある種の諦観はみんなあったでしょうね。ビル・エヴァンス(1929~1980年。バド・パウエル以
後のピアノスタイルを確立した、白人ピアニストの最高峰)がボビー・ティモンズみたいに弾ける
わけないし。
MC そうそう。
渡 自分のスタイルでしか弾けないという諦観があって初めてジャズピアノに達するのかもしれない
ね。
MC 外国人でジャズやるってことはそういうことだよね。
渡 「ジャズをやる」ってことは、結局そうやって自分のスタイルを作っていくことなんだね。
MC 日本人は日本人として獲得していくほかないよね。絶対にネイティブにはなれないんだから。
ネイティブなジャズ族にはね。
渡 そうね。
MC ヘタをすると、アメリカ人ですら、今では日本人と同じですよ。だって、生活にジャズが満ち溢
れてはいないんだから。黒人ですら、バークリー音楽院行って、ジャズの勉強してんですから。
渡 そうだよね。
MC 気づいてたら俺はラッパを吹いていて、それはジャズでした。なんてことありえないもん(笑)。
渡 ありえないねえ。
MC 黒人にとって、音楽やることは、ジャズ以外ありえなかったのよね。そうでなけりゃブルースと
かR&Bだもん。クラシックなんてありえないもの。だからこそ、あれだけの人間が集まっちゃった。
日本は、外国から輸入された洋楽というか、そういうものとしてはいってきて(注1)、そっからはじめなきゃいけなかったから、明治維新以来の西洋文化受容とおんなじなんですよ。
渡 ビ・バップの頃は、ジャズはその場に生きていたんだけど、今は伝統芸能になってるところはあ
りますよね。
MC ビ・バップはジャズ族の中でも、とりわけ「お前らとは違う」ってことを言っている連中だから。
ファッションとか言葉遣いで差別化してたからね。
渡 後の人はそれを必死こいて習得するよりほかないと。
MC 渋谷さんの若い頃は、マイルスが頂点に君臨していた頃だから。
渡 でも、過去の遺産を摂取して、イディオム増やすってことはすでにあったよね。それがジャズに
なっていくと。ジャズの本質から外れてくると。
MC なるほどね。そりゃそうだろうね。難しいところだけど。
渡 やむにやまれずやっていたのとは違うだろうし。
MC いろんな音楽がある中で、渋谷さんはジャズ選んでるんだよね。
渡 そうだよね。
MC 渋谷さんは、作曲家としても評価高いですから(『嫌われ松子の一生』で日本アカデミー賞最優秀作曲賞を受賞)。そういう意味では、ハイブリッドなあり方だよね。まあ、1つのことだけって人のほうが今はむしろ少ないような気がするけども。そういう意味で言えば、渋谷オーケストラは、か
つてのジャズメンの持っていた切迫感からは解放されてるよね。
渡 外国の音楽として摂取して、その上でどう楽しんでいけるのか。ということを極めてポジティブにとらえている。
MC ジャズをカッコでくくって、というか、ハービー・ハンコックからしてそういうとらえ方なんだけども(注2)、ヘタするとハンコックはそのまんまクラシックいっちゃっていた可能性があったわけよ。「異色の黒人クラシックピアニスト」として。
渡 でも、まだこの頃のジャズは、めちゃくちゃ力あったわけでしょ?
MC ハンコックにはそうは見えなかったんだろうね。黒人にしてはかなり裕福な家庭であったというのも大きいでしょうけども、それに生い立ちからして猛烈なブラックネスなんてないだろうし。だから、ハンコックも、カッコでくくったジャズをやっているんですよね。だから、マイルスのやってることをすぐ理解できたんだと思いますよね。マイルスも裕福どころかめちゃ金持ちのボンボンですから。
渡 マイルスの60年代クインテット(マイルス以下、ウェイン・ショーター(ts)、ハービー・ハンコック(p)、ロン・カーター(b)、トニー・ウィリアムズ(drms)を指す)はすごいよ。各人が個性を思いっきり発揮しながら、それでいてものすごく一体感があるんだから。
MC トニー・ウィリアムズが「お前はもっと練習たらすごくなる」とか、マイルスに説教したらしいからね。はなしが横道にそれてますが(笑)、渋谷さんも同じことを抱えていたんだと思います。それが結実したのが、このオーケストラなんでしょうね。
渡 あと、渋谷さんの作曲がないんだよね。
MC ないよね。1曲もないね。作曲家なんだけども。
渡 そこもカギででしょうね。
MC 作曲をこのオケに持ち込むと渋谷色が強くなりすぎることをきらってるんでしょうね。ここでソロを取れとか、こういう風に演奏しろとか、言いたくなるのが嫌なんだろうね。そうなっちゃうと、みっちり練習せざるを得ないから。自分好みのメンバーに全部変えちゃうことになる。
渡 このオーケストラにはそれがゼロに等しいよね。
MC フリージャズってのが、怒りの表現に収斂したことにきづいちゃったということもあるでしょう。
フリーに一番なりにくいピアノやってるってのもあるし。セシル・テイラー(1929年生まれのピアニスト。エリントン、モンクの影響下、クラシック、現代音楽をも吸収した、驚異的なスタイルを確立した、フリージャズピアニストの巨人)しかできないよね、あれは。
渡 かなり危険なあり方でなりたってますよね、渋谷オーケストラは。
MC 古澤さんのドラムはバンドの推進力ですらない。私だったら彼じゃない人にしますけども(笑)。ですから、根っから渋谷オーケストラ好きになりましたかというと、それはないですね。
渡 そこをどうとらえるかで評価が分かれる音楽ではありますね。
MC どうしようもなくだらしないところに流れていきかねいないですからね。ま、あの演奏に一番反感を持ってるのは、津上さんかもね。真逆だもんね、演奏が(笑)。そもそも、古澤さんに合わせるも合わせないも自由なんじゃないの?っていうことをいってるのかもしれないけどね。ある意味、一番厳しいっちゃあ厳しいよね。ま、みなさん、合わせない方向でやってるようですが(笑)。始めからこういう風にやってるのかどうなのかは、聴いていないのでわからないけども、ここではほとんど何にも知らなで聴いてみたらどういうことがいえるのか。ってことに主眼を置きましたから。
渡 印象というのを言葉に置き換えるのは難しいことだからね。
MC 手前味噌になりますけど、「紙のジャズ」をやってることの意義はそこですから。いきなり聴いて見て、何がいえるのか。どういうことなのかを正確に述べる。与えられたお題に対して、どう考えるのか。音源として何を提示すればいいのか。で、いきなりそれを聴いてどうなのか。それは、聞いた事のあるものなのかもしれないし、そうでないのかもしれないし。それを用いて、どう組み立てるのかすらもわからないからね。
渡 そろそろ結論も見えてきましたから、まとめに入りましょうか。
MC 崩壊寸前のギリギリで成立しているオーケストラで、アンアンブルもバチッと決まっていない。アレンジも最低限度。これをずっとやり続けている。そこが、このオケの怖さでしょうね。ジャズの様式じゃないところで、渋谷さんは深くジャズを理解していると思いますよ。ブルースとかが身体感覚として身についていない人間にとってのジャズってことだと思います。
渡 ゆるさが魅力でもあるんだけどね。
MC うまくはまったらかっこいいんでしょうね。実際、そういう瞬間はあったから。ベースと、ドラムは私の好みじゃありません。あの叩き方だったら、ジャズじゃない音楽の方が相性がいいと思うのよ。で、私はそこまで付き合う気はないってことです。いいか悪いかは別問題です。渋谷さんは別の形でまた聴きたいと思いました。松本治さんとは明らかに相性良いよ(注3)。
渡 あのよたれ気味のリズムを渋谷さんは許してるんですよね。そういうことなんですよね。
MC その辺は今売れっ子の菊地成孔とは違うってこと。彼はことジャズに関しては、慎重ですから。
渡 なるほどね。
MC てな感じて、何とかまとまりましたのでこの辺でお開きとしましょうか。
渡 ありがとうございました。
(2008.12.25JR橋本駅前居酒屋にて)
(注1) 油井正一氏によると、戦前、アメリカからジャズのSP盤が入ってきた時、それを黒人の音楽とは認識していなかったらしい(後藤雅洋『ジャズ解体新書』JICC出版局1922pp.88~90)。ちなみに、最近、瀬川昌久・大谷能生『日本ジャズの誕生』青土社2008が刊行され、戦前~戦中期のジャズの受容史が明らかとなった。
(注2) ハンコック(1940~)は、7歳からクラシックピアノをならっており、11歳でシカゴ交響楽団と共演した神童である。
(注3) McLeanは、会場で松本治の初リーダー作『和風』を購入。これがなかなかの逸品であった。
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