2010年8月17日火曜日

第1回 ライブ観戦記 中篇

 紙のジャズ 第1回 渋谷毅オーケストラ観戦記 中篇


              ~2008.12.25@杜のホールはしもと~



                                  Mclean Chance、渡部信順



サックスで素性がわかる





MC ところで、フロントが4人サックスで(津上健太(ss,as)、林栄一(as)、峰厚介(ts)、松風鉱一

(bs,as,fl))、トロンボーン1人(松本治)という変わった編成ですが、誰か好きだというのはありますか?

渡 峰さんのテナーはよかったですよ。

大 そうですか。

MC バリトンはPAの関係もあってか、よく聴こえなかったけども、テナー好きってのもありますが、

私は峰さんがグッときたねえ。

MC うんうんうん。

渡 林さんのアルトもいいと思ったけど。

MC 林さんもまあ、歌謡とフリーだよね(笑)。

渡 なんというんでしょうね。歌いながらどっか行ってしまうというか(笑)。

MC フリージャズの方だから、ああいう展開に行くのは当然でなんですが。今回の場所は、普段はジャズをそんなに聴いていない方が多かったでしょうから(注・明らかに中高年の夫婦が多かった)、それを意識していたの思うので、普段だったらもっとフリーっぽいのも演奏してるのかもしれませんね。ピットインとかだったら、フリージャズ好きな人が明らかに多いですから。

渡 だから、一番が峰さんで二番が林さんかな。

MC なるほどね。私も、聴いていて、このオケのウリは林さんだと思いましたが、2番目が津上さん
と思いました。

渡 ああ、なるほどねえ。

MC 津上さんのサックス、とりわけソプラノはメカニカルで、多分に、デイヴ・リーブマン(1946年生まれのソプラノ、テナーサックス、フルート奏者)の影響が強いのだと思いますが、デートコース・ペンタゴン・ロイヤルガーデン(2008年に解散した大編成ファンクバンド)やONJOのメンバーでしたので(津上氏は脱退している)、サックスを吹くということで、菊地成孔さんと大友良英さんに相当鍛えられたんでしょうね。出す音のパワーが基本的にすごくて抜けがいい。

渡 なるほどな。

MC  昔はそんなに太くないんですよ。7~8年前に、ONJQ(大友良英ニュージャズ・クインテット)
のライブ収録(注・『Live』(DIW)として発売された)で初めて津上さんを見たんですが、こんな音じゃなかったですよ。

渡 ほう。

MC もっと神経質でね。

渡 じゃ、ずいぶん変わってきたんだね。

MC うん、ずいぶん変わりました。ホントに音が太くて、大きくなって、図抜けた音になりましたね。

渡 自分の表現にも自身が持てるようになったんでしょうね。

MC (ONJQで)隣に菊地さんが吹いていて、安心じゃないですか。あのONJQのウリはやっぱり菊地さんなわけですから。ものすごい吹ける人でしょ?

渡 バリバリにね(笑)。

MC 作ってくれているわけだから。自分でそれ作っていくってことになると大変ですよ。

渡 もっと言うとさ、渋谷さんのところにいると、何をどう吹いても許してくれるでしょ。それもあ
るんでしょうね。

MC 渋谷さんは全体のがっちりとした形を、ライブにおいては、多少いびつになっても叱る感じがな
いですね。それでいいようにしてるんでしょうね。

渡 でしょうね。

MC だから、津上さんのハードなスタイルと、古澤さんのどうにでもござれの、ホントに意味でのフ
リー(笑)。

渡 なるほどね(笑)。

MC あらゆる抑圧から解放されちゃった音楽(笑)。

渡 そういう意味でのフリーね(笑)。

MC まあ、ホントにフリージャズですよね。ほとんど相反するとしか言いようのない要素を平然とお
いていて、それに対してコードだけを供給して後は好きにやれっていうのは、ある意味相当懐深い
ですよね。で、やっぱり渋谷さんがソロを取ると場が引き締まるというか。

渡 全体の雰囲気が瀟洒な感じになる。

MC 話がちょっと、戻っちゃいますが、コルトレーン敷き詰めるような音の作り方というのは、結構
みんなに受けたじゃないですか。彼のやり方というのはロジカルだし、ある意味習得しやすいです
よね。だから、みんなコルトレーンぽくなるし、そうするとピアノも敷き詰めていかなくっちゃいけないというか、そっちになっちゃう。渋谷さんはそれがやだったんでしょうね。

渡 やっぱり感じたのはね、少ない構成音センス良く1つの小節の中で生産していく感じがする。

MC 吟味しているんだね。

渡 そうだね。

MC 1小節の中で必要なテンションが入って、それが次の小節の雰囲気になっていくというか。無理に入れてないんですよ。省略のマジックがすごいというかね。 実際のところ、どう抜くってのは、
結構覚悟のいる作業で、抜くとバレるんですよね。バーッと敷き詰めると、すごいものに聴こえる
んですよ。音ってドンドン抜いていくと、その人にどれだけリズム感があるのかとか、明るみにな
る。

渡 特にピアノはね。

MC サックスなんかでも、あんま吹きまくらないスタイルってのは、絶対リズム感が問われていて、どういう音を選んでいるのかもバレちゃう。

渡 そうだね。

MC 情報量がすくなけれが少ないほど、聴く側はそれが何なのかが判別しやすいですから。上手か下手かがすぐわかっちゃう。渋谷さんはその険しい道を進んでいるんでしょうね。本人は非常に淡々としてらっしゃいますが(笑)。

渡 コルトレーンのやろうとしたことは、限られた時間の中で、コードチェンジするコードシンボル
の中にありとあらゆる情報をぶち込んでしまうと。

MC 彼の場合は、言いたいことが多すぎて、長くなっちゃうんだよね。

渡 だんだん、音楽からはみ出しちゃう。

MC 彼は選び取ることも捨てることも出来なくて、「かたずけられない人」というか、頭の中がずっと
そんな感じだったんじゃないのかと(笑)。コードチェンジも、モードチェンジも一緒くたになって、
アフロポリリズムも、インドの変拍子も入ってきて。常に「ゴミ屋敷状態」で(笑)。

渡 そうそう(笑)。

MC だから、結果として、聴いてる人にはノイズだったり、フリージャズになったりするんですよ。
最晩年のラシッド・アリにすら、ちゃんとビート刻ませてますからね。あの状態で(笑)。ということは、彼のやってるフレーズは、ちゃんと聴いてると譜面になるんだと思いますよ。

渡 うん。

MC 私がサックス聴いてつくづく感じちゃったのは、日本語をしゃべってるってことが、アドリブで
ソロを取ってることを拘束するものなのか。ということですね。

渡 ああ、なるほどね! 言われて気づいた。

MC 音のシリの部分が、ニューヨークでやってる人たちのほうがキレが良いんですよ。

渡 僕もジャズピアノ弾くからわかるんだけど、やっぱ日本人だよなあと感じてしまうことあるんで
よねえ。

MC というと?

渡 やっぱり日本人なの、僕って。フレーズの継ぎ方がダメなのよ。1文字1音節区切っちゃうね。

MC スキャットの「ダバダバ」ってのがありますよね?日本人だと、「ダア~バア~」て、全部母音がついて聞こえるというか。

渡 そう。そうだね。日本人にジャズ・ヴォーカルって、すごく難しいんだろうねえ。

MC そう思いますよ。モダンジャズは、とりわけアドリブを重視してきたけれども、アドリブってそ
ういうのがモロに見えちゃうじゃないですか。

渡 なるほど。見えてきたねえ。

MC テーマは練習すれば、キャノンボール(キャノンボール・アダレイ。アルトサックス奏者1928~
1975年。明るくのびのびとした、まるでテナーサックスのようにアルトを吹くことで人気を博した)そっくりになるかもしれないよね。でも、アドリブとなるとそうはいかない。

渡 なるほどねえ。

MC 自分の語法でやるしかないでしょ。

渡 そう。結局そうなのよ。

MC コードとかがあったとしても、最終的にやんなきゃいけないのは、自身のイディオムの問題だからね。

渡 言葉であり呼吸の問題だろうね。

MC テナー吹いてても、日本人が吹くと違うんですよ。技術的にヘタとかうまいとかそういうレベル
問題じゃなくて。津上さんなんかは、母音を消す努力をかなりしてると思いますけども。でも、

他の人たちは、丸出しですよ。

渡 そういや、盲点だったねえ。

MC だから、何が聴こえるかって言うと、歌謡です。

渡 わかるわかる。

MC 彼らの世代は、ラジオなりテレビなりで一番聴いていた、聴こえていたのかというと、そりゃ、
美空ひばりなんかの歌謡曲でしょう。コルトレーン聴きましたって言ったって、幼少期のときに何
聴いていたのかっていうのとは比べモノにならないよ。

渡 でかいだろうねえ。

MC お父さんが村田英雄は良いなあとかいって聴いてるわけでしょ(笑)。それを子供は強制的に聞かされてるわけだから。2歳くらいから。ヘタするとお腹の中で聴いてるわけで。アドリブってそれ

が全部見えちゃうのよね。キース・ジャレットが「ジャズという民族」みたいなことを言って、8

0年代からスタンダード・トリオ始めるじゃないですか。あれって、示唆的だと思う。ある意味、

ジャズってのは、「ジャズ族」の言葉ですよね。

渡 ジャズを学んでいくって言うことは、「ジャズという言語」を学んでいくことなんでしょうね。

MC そうでしょうね。ビ・バップ(注)のやってることは、言語に一番近いって言われてるからね。

渡 そうなんだよね。ジャムセッション行ってみて、日本語にひきづられてるんだよね。そこからいかに脱却するのかが挑戦なんだよねえ。

MC なるどね。でも、言語学からジャズを分析しようとする人けっこういたらしいですけど、ほら、
記号学からそういう人でそうじゃないですか(笑)。

渡 相当いるだろうね(笑)。

MC あんまりうまくいってないみたい(笑)。音楽は全部、記号に置きかえられるわけじゃないからね。

渡 音楽を記号学で語るって言うのは無理なのかな。

MC 音楽は運動だかね。止めて、ハイここ。みたいな事ができない。消えちゃうでしょ。文字だと、
分析できる。学者は動きを止める装置を自分で持ってないと分析できなんですよ。だから、絵画分析は進むんです。フーコーの『言葉ともの』の最初は、ベラスケスの「侍女たち」の精緻な分析じゃないですか。 

渡 たしかにあの分析は素晴らしいよねえ。フーコーは、普段意識できないことを意識させることにかけては天下一品だね。それが構造主義なんだけども(笑)。

MC するとね、ジャズってのはあんまり分析できない。譜面だけじゃどうしようもないでしょう。

渡 音楽的感動なんてのも、完全に言語におきかえ可能じゃないからね。

MC 批評ってのは音楽のおいてもあるけども、結局のところ、聞かないとわかんない。まだ絵画だと、図録の横に批評をつけることでわかるけども。

渡 渋谷さんの音楽聴いて語ってるけども、もうすでに終わってることだからね。時間と空間のずれ
がある。

MC 場所も変えて、居酒屋でしゃべってるわけだから。

渡 これがまた録音されて、活字におこして、エクリチュールになる(笑)。

MC そうなってくると、常に分析しようとするものが常に断片的にならざるを得なくてね。鳴ってる

音の情報を全部把握して分析できてないですから。それはCDを聴いていても、何回聴いたって10

0%聴いてないですから。大編成のものを聴いてたら尚更ですよね。

渡 音楽って、創作過程が全部丸見えですよね。でも、全部が把握できない。現れては消えていくし。

MC そのうえで、フォーカスあてるのは、やっぱりどういうソロ取ってんだろうね。ということにな
るのは、当然ですけども、これは全くごまかしがきかないよね。これがジャズの一番怖いところ。
その人の出自が全部でてしまう。

渡 そう考えるとジャズのフレーズって不思議だね。フレーズってのは、現れては消えていくもので
しょ?その人の味とか個性が出てくるのはそこに出てくるのだけど、それはあっという間に消えて
いくものなんだね。

MC 日本のジャズメンは音大出身者が多いから、見よう見まねでジャズやってる人はほとんどいないです。でも、パーカーにはならないよね。

渡 パーカーの吹き方は、パーカーにしか出来ない。

MC パーカーの遺した録音を全部譜面に起こして、全くその通りに吹いたという、「スーパーサックス」という集団はいたんですが(笑)。要するに、そうでもしないと、パーカーにならないということを
逆に証明しちゃったんですよね。(笑)。



(後編に続く)







(注)チャーリー・パーカー、バド・パウエルらによって1940年代半ばに始められたジャズの新しい演奏形式。コード進行のみをたよりに、徹底したアドリブプレイを競うことを主眼としたもので、当初は一部の熱狂的な演奏者の間でのみ行われたが、やがて、それが50年代に「ハード・バップ」という、より洗練され、音楽的にも整合性のとれたヴァリエーション豊かなものとして定着する。

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